芸術監督ご挨拶
コロナ禍により舞台に立つことに様々な制限が課されたこの3年間は作り手にとってはもちろん、観客にとっても、そして私たちフェスティバル主催者にとっても本当に苦しい期間でした。しかし、この3年間は止まっていた時間ではありません。作り手の中には、この厄災を奇貨として新たな表現手法に挑んだ者もいれば、自分自身の表現の原点を見つめ直す絶好の機会とした者もいたのです。
コロナ禍のため中止に追い込まれた2020年と2022年で唯一『踊る。秋田』の公式プログラムとして上演された月灯りの移動劇場公演『Peeping Garden/re:creation』(2021年のアーカイブ参照)はその最たるものでした。「円形ソーシャルディスタンス劇場」と名づけられたこの公演の劇場は30枚のドアを組み合わせて作られたこの円形劇場で、観客は間仕切られた一人きりの空間でドアの覗き穴から舞台を見つめるという画期的なものでした。
これは、まさに「100年に一度の厄災を逆手に取る」表現スタイルで、観客は通常の劇場における感動と興奮は、演じ手と観客が一体となることによって引き起こされていたのだという当たり前の事実に改めて気づかされることになったのです。
こうした試みや自らの表現に対する試行錯誤は、舞台芸術に関わるすべての人の中で繰り返されてきたことでしょう。
私たちもまた、これまで歩んできた道を振り返り、新たな一歩を踏み出すためには何が必要なのかを考え続けてきました。
そうした試行錯誤の中で、これまで石井漠・土方巽記念 国際ダンスフェスティバル『踊る。秋田』として開催してきたフェスティバルの名称を改め、本年からは「石井漠・土方巽記念」という冠を外すことにしました。秋田の産んだ無形文化遺産の名に頼ることなく、秋田を世界の文化交差点にすべく新たな一歩を踏み出すという決意の表現です。
また、私もこれまでの「フェスティバル・ディレクター」という肩書きを「芸術監督」改めることにしました。「フェスティバル・ディレクター」は、『踊る。秋田』実行委員会から委託される形で就任した役職だったのですが、秋田県と秋田市が実行委員会から離脱した本年からは実行委員会の一員として、実行委員長の高堂裕と共にこのフェスティバルの存続と発展に邁進して参ります。
これまで同様、ご支援、ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願いいたします。
国際ダンスフェティバル『踊る。秋田』芸術監督 山川三太
山川三太(やまかわさんた)
1953年、秋田市生まれ。’72年に上京し、演劇センター附属青山杉作記念俳優養成所に入所。’75年卒業と同時に劇団究竟頂(くきょうちょう)を結成・主宰し、劇作家、演出家、俳優として活動。2015年、『踊る。秋田』実行委員会の依頼により『踊る。秋田』フェスティバル・ディレクターに就任。著書に戯曲集『褸骨の指輪』、教養書『文化人類学通になる本』、ノンティクション『白鳥の湖伝説 小牧正英とバレエの時代』等がある。