実行委員長ご挨拶
このコロナ禍の中、昨年の『踊る。秋田Vol.6』は中止という判断をせざるを得ませんでした。観客も作品創造の重要なパートナーであるという宿命を持つ舞台芸術にとっては、本当に切ない状況が続いています。
未だに海外との交流が可能になる時期は見えていませんが、それでも私たちは舞台芸術の火を絶やさないために、今年は可能な範囲の中でフェスティバルを開催することとしました。
本年は、本来であれば昨年中止となった「土方巽記念賞」の国際コンペティションを1年遅れで開催する予定だったのですが、現在の状況に鑑み、それは断念して国内在住ダンサーのみで開催することと致しました。
みなさんのご寛恕を乞うとともに、コロナにまけず、舞台芸術を愛する皆様と共に、前を向いて再び前進することをお誓い申し上げたいと思います。
『踊る。秋田』実行委員会委員長 高堂裕
高堂裕(たかどう ゆたか)
大町商店街組合振興会理事長、株式会社あくら代表取締役社長
フェスティバル・デイレクターご挨拶
パフォーミングアーティストにとって、本当にしんどい状況が続いています。本来であれば、今年は「土方巽記念賞」国際コンペティションを開催する予定だったのですが、やはりそれは断念せざるを得ませんでした。
しかし、今年は新たに「駐日韓国大使館文化院長賞」も設けられ、国内ダンサーにとっては海外に飛躍する大きなチャンスとなります。
同時に、本エスティバルは動画配信によって世界各国のダンスフェスティバル・ディレクターの方々に発信されていきます。
来年は、イスラエル、スロベニア、ハンガリー、フィンランド、リトアニア、サンクトペテルブルク、韓国、香港、台湾、マカオ、シンガポール、USA、コスタリカの各国からダンスフェスティバル・ディレクターがゲストとして秋田の地を訪れます。その彼らに、一足先に作品を提示し、強い印象を与えるためにも、みなさん奮ってご応募下さい。
みなさんのご応募をお待ちしています。
フェスティバル・ディレクター 山川三太
山川三太(やまかわさんた)
1953年、秋田市生まれ。’72年に上京し、演劇センター附属青山杉作記念俳優養成所に入所。’75年卒業と同時に劇団究竟頂(くきょうちょう)を結成・主宰し、劇作家、演出家、俳優として活動。2015年、『踊る。秋田』実行委員会の依頼により『踊る。秋田』フェスティバル・ディレクターに就任。著書に戯曲集『褸骨の指輪』、教養書『文化人類学通になる本』、ノンティクション『白鳥の湖伝説 小牧正英とバレエの時代』等がある。
公式アドバイザーご挨拶
今回のコロナ禍は、日本の舞台芸術を支える基盤の脆弱さを露呈した。社会的なセイフティネットが貧困で、ほとんどのダンサーが一夜にして公演もリハーサルもバイトまでもできなくなったのだ。
そんな日本において、フェスティバルは単なるイベントではなく、ダンサーを支え、作品の創作発表の場を提供し、海外に活躍の場を広げるネットワーク作りをする等々、「ダンスのためのインフラ」としての役割を担ってきた。
『踊る。秋田』もその重責を担い、山川三太芸術監督の奮闘のもと、開始後数年で国内の重要なフェスティバルとして地歩を固め、海外の有数のフェスティバルとネットワークを構築してきた。それが昨年はコロナ禍で、残念ながら延期となったのだった。
状況は続いている。コロナ禍を生きるため、我々は変わらなければならない。今年の『踊る。秋田』は、現状に即した新しい挑戦を次々に押し出している。
これは大きな試練だが、変化とは、すべてのクリエイションの源だったはずだ。
古い価値感が壊れて変化が求められる時、従来とは違う新しいダンスが脚光を浴びるチャンスでもある。今こそ、今だからこその表現を、ドーンとぶつけてきてほしい。
公式アドバイザー 乗越たかお
乗越たかお(のりこしたかお)
作家・ヤサぐれ舞踊評論家。株式会社ジャパン・ダンス・プラグ代表。06年にNYジャパン・ソサエティの招聘で滞米研究。07年イタリア『ジャポネ・ダンツァ』の日本側ディレクター。日本とソウルで5つのフェスティバルのアドバイザーを務める。『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』(作品社)、『ダンス・バイブル』(河出書房新社)、『どうせダンスなんか観ないんだろ!?』(NTT出版)、他著書多数。現在、月刊誌「ぶらあぼ」で『誰も踊ってはならぬ』を連載中。